宮崎の旅・連載(7)可愛い山から想像したブスのお姉さまのその後

可愛岳「カワイイ岳」ではありません。
「えのだけ」と読みます。

ニニギノミコトの御陵参考地と宮内庁に定められています。

141116_宮内庁
案内に「宮内庁」の文字が。

そしてここは西南の役で追い詰められた西郷隆盛が
最後の軍議を開いて解散を決め
辞世の句を詠んだ地でもあります。

141116_西郷説明

それで西郷隆盛とニニギノミコトが一緒に。。。
納得です。
141116_記念撮影

西郷を追う官軍も
天孫の御陵を荒らすことはできないだろうと
逃げ込んだと考えられています。

このあと、西郷隆盛らは
急峻な可愛岳を越えて故郷の薩摩へなんとか逃げ延びました。

西郷らを受け入れた当時の建物がそのまま残っています。
141116_外観

中には一瞬、誰かがいる!とぎょっとしてしまうほどリアルな人形が。

141116_人がいるみたい

当時の家主から5代目の子孫、
小倉剛誠さん(71)が当時の状況を興味深く説明してくれます。

141116_小倉さん
なにしろ当事者の子孫なので説明には真摯さとオーラが感じられます。

こちらはニニギノミコト御陵の参考地。
ニニギノミコトとは?
→初代天皇・神武天皇のひいおじいさんです。
ちなみに今の天皇陛下は初代から数えて125代目にあたられます。
141116_えのさん説明
系図が現地にもありました。

御陵を背にすると、すぐそばをソニックが駆け抜けていきました。
日豊本線の線路がすぐそばにあるのです。
鉄オタにはたまらない場所でしょうね!
残念ながら「ななつ星」が通過するのは夜中ですが。。。

さて、大学で古代史を専攻した私ですが
古事記の神話部分は記憶があまりなく、
このブログを書くためにネットで調べました(笑

調べていて、思わず涙が出そうになったのが
ニニギノミコトの奥さん木花咲耶比売(このはなさくや姫)の
姉の石長比売(いわなが姫)の生涯。

ニニギノミコトに美人の妹「このはなさくや姫」と同時に嫁がされた
不老長寿を司るけどブスのお姉さん「いわなが姫」は
「要らん!ブスは帰れ!」とニニギノミコトに返されてしまいます。
ゆえに天皇家の方の寿命(人間の寿命)はその後、花が散るように短くなったという話なのですが、いわなが姫のその後があったのでした。

お父さんのもとに返されたいわなが姫は
追い返されたことに傷ついて家を出てしまいます。
その後、たどりついた小川で米をつくり、
黄金にゆれる稲穂を見て「ヨネヨシ、ヨネヨシ」と喜んだといいます。
(それが宮崎県米良の地名の由来となった)
しかし後年をとって体が不自由になった姫は
それを嘆いて川に身投げして一生を終えるというものです。
不老長寿だったはずなのに。。。

うう…毒女として身につまされます。
結婚せず一生懸命働いても結局老後は。。。。悲しすぎる。

しかし美人の妹のほうも、せっかく産んだ子供を
「本当に俺の子か」と疑われたり(ひっどーい!)
あげく次の子の出産中に産屋に火をつけられたりさんざんです。
しかもその後夫には二度と心を開かなかったとか。

あ~あ、どっちもどっちですね。。。
しかしだ、もともと不老長寿の神だったいわなが姫ですから
「ヨネヨシ」と幸せだった期間もものすご~く長かったのでしょう!
その果てに、、、ですから
案外姫も人生に納得したうえで、自ら身を投げて命を終えられたのかもしれません。
そう考えたいですね。

私も足腰を鍛えてせめて「ヨネヨシ」の幸せが長くなる努力をせんば!
(あ、今週ランニングも筋トレもさぼってたわw)
ランニングといえば、延岡はあの「旭化成」の町。
そのへんを普通に、選手が走っているそうです。いいなあ。。。

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